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大奥の女性たちのストレス発散に一役買っていた「行事」と「甘味」

「将軍」と「大奥」の生活㉔

■江戸庶民から大奥の行事へ取り入れられた「初午」と「四万六千日」

 

 一方、大奥だけで執り行われる行事も少なくない。というよりも、江戸の町での年中行事を取り入れたのだが、そんな事例をふたつほど紹介しよう。

 

 2月の最初の午(うま)の日は初午(はつうま)と称し、稲荷(いなり)社で盛大なお祭りが開かれた。江戸の町は稲荷社が多いことで知られたため、この日、江戸はお祭り騒ぎとなる。社前では子供たちが太鼓を打ち鳴らして踊ったが、その熱狂に刺激されたのか、大奥でも次のような光景が繰り広げられた。

 

 御年寄が城内に鎮座する稲荷社に御台所の代りに参詣(さんけい/代参/だいさん)した後、御台所の前で奥女中たちが踊ったり狂言を披露したりすることになっていた。その後、御台所は女中たちに向かって、呉服類やお菓子や細工物などを手づから撒き散らすのが恒例だった。それを我勝ちに奪い取ろうとして大騒ぎになるのを、面白がって見ていたという。

 

 また7月10日は、大奥が浅草寺の境内に変じたかのような賑わいをみせる日であった。この時代、浅草寺は江戸で1、2を争う盛り場として常に賑わっていたが、とりわけ毎年7月10日の人出は物凄かった。この日に本尊の観音様を祀(まつ)る浅草寺にお参りすると、四万六千日分参詣した功徳があるとされたからである。よって、善男善女が一気に繰り出したのだ。

 

 これは四万六千日と呼ばれる仏教行事だが、大奥でもこの日、臨時に祀られた観音様のもとに奥女中たちが参詣したが、それだけではない。あたかも浅草寺の仲見世通りのように、廊下には出店が立ち並び、大奥は異常に盛り上がるのであった。こうしたイベントを通じて、奥女中たちは日頃のストレスを解消していたのである。

 

監修・文/安藤優一郎

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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